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#103 砂糖文化を広めた長崎街道
興福寺
中国江西省の劉覚(りゅうかく)が元和6年(1620)頃長崎に渡来、僧となり真圓(しんえん)と称してこの地に小庵を営んだ。在留唐人の南京地方出身者が一寺創立を図り、媽祖堂・仏殿を建てて真圓を開基とした。寛永9年(1632)唐僧黙子如定(もくすにょじょう)が渡来、2代住持となるに及び寺観大いに整い、更に承応3年(1654)唐僧隠元隆琦(いんげんりゅうき)を迎え全国の僧俗が雲集したため、外堂・山門等一段と整った。元禄2年(1689)再建された大雄宝殿が、慶応元年(1865)暴風で大破したため、明治16年(1883)再建されて現在に至る。中国工匠の手になる純粋の中国建築で、巧緻な彫刻・華麗な彩色・氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)の丸窓等珍しい。
日本初の唐寺で、黄檗宗発祥の地であり、煎茶文化を日本に伝えた隠元隆琦を招聘した寺院でもある。 はじめは唐船の航海の女神・媽祖を祀るための小庵だったが、来航唐人による多額の寄進により、諸堂の建立・維持が行われた。
【文責】 長崎市商業振興課
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