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#015 「四国遍路」
観音寺
観音寺は名勝琴弾公園の一角にある琴弾山の中腹に位置する。真言宗大覚寺派に属し、七宝山観音寺と号する四国遍路の第69番札所。 大宝3年(703)に八幡大菩薩が琴弾山に影向し、琴の音と共に現れた船を山頂に引き上げ安置したのが琴弾八幡宮の創建とされ、大同元年(806)に弘法大師が琴弾宮に参詣し、その神宮寺を観音寺と号したと伝わるが、縁起では七宝山から善通寺我拝師山まで続く修行場(七宿)の初宿にも位置付けられており、山中を歩く修行者などが訪れる場が発展し、古くから弘法大師信仰の地となっていた可能性がt高い。鎌倉時代末期の「絹本著色琴弾宮絵縁起」(重要文化財)には、琴弾山の山頂に琴弾八幡宮、中腹に観音寺が描かれており、現在と同じ場所に境内が築かれていたことがわかる。南北朝時代には観音寺に本堂(重要文化財)が建立されるが、旧来迎壁に貞和3年(1347)に常陸国下妻の僧が記した落書が確認でき、この頃には遠方から観音寺を参詣に訪れる人々がいたようである。徳治2年(1307)には先述した観音寺の縁起が書写されるが、その内容から弘法大師信仰の定着がうかがえることは、札所寺院成立の前提として注目される。 明治初年に行われた神仏分離政策により、観音寺と琴弾八幡宮は大きく変化する。琴弾八幡宮が神社として独立すると、両境内に混在していた建物も分離され、第68番札所は観音寺の西金堂(薬師堂)に本地仏を移して神恵院と称するようになる。明治時代後半には神恵院本堂が建立され、次いで大師堂も完成すると、観音寺境内に神恵院があるという二つの札所を有する特異な空間ができあがる。
第69番札所。琴弾山の中腹に位置し、第68番神恵院と同じ境内にある。本堂は重要文化財であり金堂とも呼ばれている。内部には貞和三年(1347)の落書があり、貴重な遍路文化の資料とされている。
【文責】 香川県文化振興課
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