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#024 江戸庶民の信仰と行楽の地

りょうぜんじ(げん・ほうじょうぼう。つうしょう・ひなたやくし)霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師)

  • 有形文化財
  • 重要文化財
  • 奈良時代
  • 平安時代
  • 鎌倉時代
  • 南北朝時代
  • 室町時代
  • 安土・桃山時代
  • 江戸時代
  • 明治時代
  • 大正時代
  • 昭和時代以降
  • 神奈川県伊勢原市
  • 建造物

霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師) 霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師)

文化財体系 有形文化財/重要文化財
年代 奈良時代
平安時代
鎌倉時代
南北朝時代
室町時代
安土・桃山時代
江戸時代
明治時代
大正時代
昭和時代以降
所在地 神奈川県伊勢原市
分野 建造物
他、指定等の状況 国重文(本堂・建造物)

概要

 霊亀2 (西暦716)、僧行基により創建されたと伝わるお寺です。創建当時は霊山寺の名で信仰され、鎌倉時代には源頼朝や北条政子も参詣したとの記録があります。明治時代の神仏分離により現在は別当坊であった宝城坊のみが残り、日向薬師の名で親しまれています。
 その本堂は、寄棟造りの茅葺屋根を有し、桁行7間、梁間5間、軒高17.7mの壮大な建物で、文化財に指定されている木造の仏堂としては県内最大、間口7間という規模も県内で唯一です。全国を見ても、七間堂は六十数例しか現存していません。
 江戸時代の万治3年(1660)に旧本堂の部材を利用して再建され、その後寛保3(西暦1743)年から延享2(西暦1745)年にかけて改修されています。また、平成22(西暦2010)年から平成28(西暦2016)年にかけて、延享期以来270年ぶりとなる大規模な保存修理工事が行われました。
 改修を重ねる中でも中世期の部材・技法を一部に再用し、中世的な雰囲気を残す広大な内陣と、近代的で華やかな外陣の建築的な評価は高く、今もなお多くの参拝者により信仰されています。

ストーリーの位置づけ

霊亀2(西暦716)年に行基により創建されたと伝わる寺。神仏分離を契機に宝城坊となる。暦応3(西暦1340)年鋳造の銅鐘(国重文・工芸品)には、初代の鐘が天暦6(西暦952)年に村上天皇の発願によって造られたことが記されており、厨子(国重文・建造物)に納められている本尊の鉈彫薬師三尊像(国重文・彫刻)も同時期の作とされる。平安時代末から鎌倉時代にかけての作とされる木造薬師如来坐像(国重文・彫刻)、木造日光・月光菩薩立像(国重文・彫刻)、木造阿弥陀如来坐像(国重文・彫刻)、木造四天王立像(国重文・彫刻)などの仏像も祀られている。当寺には、源頼朝や妻の北条政子も参拝しており、直径約1.4mの大太鼓(県有形民俗)は頼朝の奉納と伝えられている。

【文責】 伊勢原市教育委員会教育総務課

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